何度目かの黄金の七人を見ていた。

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黄金の七人(原題 Sette uomini d’oro)(1965年 イタリア 監督/マルコ・ヴィカリオ)

お洒落な泥棒コメディ映画だ。お洒落を泥棒してるんじゃなくて、泥棒コメディ映画を洒落た感じに作っているのだ。しかし、本当にお洒落かどうかは今はわからない。なぜならば当時はそれしかなくて、洒落てるも何も無いものが一周回って、洒落たデザインになってしまっているからだ。例えば車だ。もう60年代当時のデザインの車は21世紀の今はビンンテージカーなどとしてしか公道を走ることは無い。たぶん車種の選択なんて洒落てるかどうかは気にしていないと思う。まして背景ので走ってる車は気にしていないだろう。しかし時間はドンドン進む、時代も廻る。もうどこを見ても洒落てるよう見える。コメディを選択していることすらお洒落に見える。もしかしたらお洒落なら泥棒すら犯罪ではなく、ファッションアイテムじゃないかと誤解するくらいのお洒落度だ。単なる時代性だけのパンチーテープを使ってるコンピューターすら、お洒落でメディアにパンチテープを選択してんじゃないかと思うくらいだ。

こうやってなんでもお洒落に見えることがコメディであるのかもしれない。となると、これまでお洒落だから選択されていたものが全部コメディのためにも見える。物は見方次第ということだ。

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