2019年11月12日のコーヒー。

全然書けなかった今日のコーヒーとランチ
久しぶりに飲むと他所と比較できるので美味しさがわかる。ここのは美味しかったのだった。
ランチのピラフは鮭の香りがしっかりして楽しい。店の感じがちょっと変わったのは残念だけど食事とコーヒーが美味しければだいたいOKだ。

ボリビア、バジリオ、ティコナ
鮭とヒジキのピラフ

写真の代わりに絵になっているのはカメラを持っていかなかったため。

2019/11/12の相談の件。

JR岐阜駅のサイゼリア。初めて入りました。営業開始直後だとやっぱり人は少ない。しかし、いつのまにかランチタイムになり普通のファミレス状態の賑わいだ。 ミラノ風ドリアとコツコツドリンクバーのコーヒーを飲み続ける。 エスプレッソ、アメリカンコーヒー、ダージリンティー、カプチーノの順。紅茶を挟んでいるね。カプチーノはこの前飲めなかったのでこのチャンスに雰囲気だけほしかったので飲みました。
WiFiがあれば言うことなしの快適さ。住めるよ。住んじゃいかんけど。
駅ビルでサイゼリアは居心地がいい。尿意が一切なく、ネット環境を自前で用意できれば住める。住んじゃいけないけど。どういうことかと問うならば トイレが店外なのだ、そしてWiFiも店外だ。店の外に出るとよその店舗の電波を拾うのだ。勿論ノラ電波ではない。お店ごとに電波を出しているのでうっかりすると自分がいる店じゃない電波を拾ってしまう。トイレはともかく電波は用意して欲しいなあ。あ、黒胡椒はすごく効いていた。
相談はそこそこ進みました。やたらWiFiの話をするのはデータを送りたかったのだ。目の前の人にワールドワイドな通信網を使うのは珍妙ではあるが仕方のないことと思っていたら、iOS端末同士ならAir dropで高速通信できるのだね。めちゃくちゃ速いです。

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露店で1,000円のカレーは高い。

バックの網目よりも細くて明度が近いロゴタイプがステルスになってしまっている、フリーマーケットに行ってきたよ。今回も口が悪いがきちんと考える感じで書きまーす。
森ガール(おばさんの脳内に巣食うヘルヘイムの森にいると想像される人)のコスプレをしていないと居づらいくらいにそういう人が多かったです。年々多くなっていきます。多分今回で決定的になったのじゃないかな。端的にはおっさんは来るなというフリーマーケットです。
ここに出店するにはまず森ガールの雰囲気に合わせなければなりません。シャレオツじゃないとダメです。と思ったのに油そばとか売ってんの。二年連続で僕が関わっていたお店の定位置だった場所には同じような濃い感じの店が出ていました。(なんだよ、ぼやっとした表現で。本当に行ってきたのか?行ってきたよ、写真を確認せずに感で書いているからだよ。じゃぁ、写真見るよ。)

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2019年10月27日のラーメン。

これはインスタントラーメンに厚切り(といっても自分で厚めに切った)ベーコンと野菜炒めを乗せた。夜来炒めにはトマトも入っている。トマトは火を切る少し前に入れた。ランチなら何でもアップしているわけでなく、外食か自分で作ったときに記録に撮っている。

2019年10月25日の味噌カツ丼

毎度のショッピングモールのフードコート。大盛りにしてちょうどよい量だった。味?それは普通。フードコートに味の善し悪しを求めていないのでね。値段に見合う量で文句言わずに食べ切れたら上等。

いじめのこと。

いじめが暴露されると困る人の方が多いためにいじめがなくならない。
訴えてももみ消す奴が多いって事。

いじめられると判断能力が極端に低下してしまうので訴えることができなくなる。
いわゆる言えばいーじゃんが出来ない。

いじめられる方にも問題があるとすると喧嘩両成敗でうやむやになり、結果としていじめても良いことになってしまう。

いじめといえば、リリィシュシュのすべてを見るといいよ。これ以外でも岩井俊二監督映画はいじめをモチーフにしていることがある。

障害者に絵を描く仕事をさせたい件への反応。

なにかのはずみで障害のある人に絵を職業にさせていてきなことを相談されることがあるが、イラストレーターなら本人が金曜の夕方にもらった修正を月曜の朝に修正を提出できるなら、もしくは提出日を交渉できるならいいんじゃないの?と思う。
作家なら自分で絵を売れるようにすることだよね。売れそうにない絵を必死に売ってくれる人の存在を忘れてはいけない。
(という、売れそうにない絵を押し付けられてしまった光景を見ちゃったんでね。)

先に改善するのは組織より個人技。

任意の目的が明確になっている人たちの集まりと、偶然近所に住んていた同年齢の人を徴収した集団を同一に考えても意味ないよ。多分先に挙げた集団は今流行ってるからいい例えだと思うだろうが、例えになっていない。
教育改革的なことなら組織の仕組みの改善よりも個々の教師の教える技術の向上をしたほうがいい。教師の総じて(すべての教師ではない)クソつまんねー授業の喋りを改善して欲しい。あれは本当に物事に興味を持てないような話し方なのだ。科目に対する知識よりも興味のない人に興味をもたせ、バカに多少は知恵がつくようにすることができるような教え方だ。絆とかふれあいとかそういうのを社会人になっても学校から抜け出せない大人に教えてもらう意味はないです。教えられないでしょうし。
ラグビーじゃなくてだなw一般的にスポーツ、特に集団でプレイするプロスポーツは個人の才能依存する方法論からスポーツ(競技)として成熟していくにつれて組織戦に移行していくのだ。と言うことを例にとって、学校で組織的に教育するならば、まずは教える立場の技術向上をすべきじゃないのか。
そのための方法は?予算は?という件については、お前ら賢いんだからそのくらい考えろよ。教師なんだろ?

とか、fbのTLに反応しました。個人的は正直どうでもいいです。

作品を自由に見る前に作家の意図くらい読み解けよ。

作品は自由に見て良いだろうが、作家自身がきちんと視点を持って作っていないのに自由に見て良いといってしまうと、「クソ」「つまんねー」「学校で教えてもらって描いた絵ですね」「心の弱さを発散していますね」「難しそうに描いてるけど、ただ迷ってるだけだよね」「同じような絵ばかり」「必死ですねw」「こんな事やっていないでバイト行けばいいのに」とか感想を持っても良いことになってしまう。そんなことはないですよね。
自由な読み解きができるのは作家がきちんと考えを持っているからじゃないっすかねぇ。それを理解した上で作家の見えなかった部分を読み解けるんだと思うよ。