何度目かの、座頭市鉄火旅を見た。

座頭市鉄火旅(英題/zatoichi’s cane sword 監督/安田公義 1967年 日本)
第十五作目。
悩んでいるシリーズ。市はやくざを辞めたいと放浪する。座頭市喧嘩旅のヒロインだった藤村志保が再登場。当時はやってる芸人も久しぶりに登場する。藤田まことだ。のちに俳優専業になるが当時はコメディアンだった。流行ってる人も登場だ水前寺清子が市と一緒に旅をしている設定でいっぽんどっこの唄をそのまま歌う。しかも市がリクエストして二回目を歌う。二回目はフルコーラスだ。時代を乗りこなすのも座頭市シリーズの見どころだ。

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何度目かの、 座頭市海を渡るを見た。

座頭市海を渡る(英題/zatoichi’s pilgrimage 監督/池広一夫 1966年 日本)
第十四作目。船の中から始まる。海を渡るが瀬戸内海である。行先は外国じゃないよ。たどり着いた土地の人たちも海を生活の糧にしていてこれまでと違う生活をしている社会を前面に出している。
今回も切ろうとした男を瞬発的に切ってしまう。のちに分かるが、切ろうとした男はやくざに金で雇われたのだった。

za14021200

どういうことか馬と道中を共にする。馬に乗っているのではない、馬と共に歩くのだ。馬に連れられてついた家で女に切られる。無敵になりすぎた市は悩むことでキャラクターのバランスをとっているようだ。
女と市が池で泳ぐシーンは上手だなあと思った。上手とはエロ方面の絵にしていないってこと。スターウォーズのエピソード2でのアナキンとアミダラのデートシーンみたい。座頭市の方が圧倒的に先だけど僕が見たのはSW ep2が先なので。

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何度目かの、座頭市の歌が聞えるを見た。

座頭市の歌が聞える (英題/zatoichi’s vengeance 監督/田中徳三 1966年 日本)
第十三作目。
妙に考えさせるシリーズ。ふらっと現れる琵琶法師が市の心の声のように市に生き方を問いかける。ブラックジャックの「座頭医師」などにも同じようなキャラクターが登場し、ブラックジャックの影の声のような存在になっている。それこそなんとも言えないタイミングで近くにいたり隣の部屋で寝ていたりするので若干コントのようにも見える。ただこの琵琶法師の言葉のおかげで市が自分の生き方に疑問を感じさせてしまう。結局答えは出ないのだがこれまでの完成された人情ものから脱却したいように見えるが、単に時代的に考えさせるような話が流行だったのかもしれない。座頭市は後天的に見る人が思っている以上に時代に迎合しているのだ。

za13021200
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何度目かの、座頭市逆手斬りを見た。

座頭市逆手斬り (英題/zatoichi and the doomed man 監督/森一生 1965年 日本)
座頭市シリーズ第十一作目。
めくらギャグをちょいちょい挟む。市本人が言うので笑える感じになっていて、これをやくざに言わせるときは差別する感じになっている。
同じことを言い方次第で意味が変わることの表現だ。

za11011200
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何度目かの、座頭市二段斬りを見た。

座頭市二段斬り (英題/zatoichi’s revenge 監督/井上昭 1965年 日本)
第十作目
そういえば行くとこ行くとこ市にとって懐かしいアイテムや人が登場する。映画で描かれる場所はほぼ市は行ったことのある場所なのだ。たどり着いた土地のやくざにめくら、どめくら、など酷い言われようなのも全く変わっていない。悪い奴は差別し、良い人は気にしない。

za10021200
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何度目かの座頭市関所破りを見た。

座頭市関所破り (英題/adventues of zatoichi 監督/安田公義 1964年 日本)
座頭市シリーズ第九作目。表題のように関所破りの話です。関所を通過するのではなく、結果的に関所を壊す話です。
今回も物語とはほぼ無関係の部分で子どもたちとのからみが出てくる。どこに関係があるかと言うと市が盲目であることを説明するシーンで登場だ。だからほぼ冒頭で子供とのふれあいのような感じでワンシーンがある。一作目から子どもは市と何らかの関りを持つんだけど、主人公である市がハンディキャップや前科などがあっても大人としての立場を取らなくてはならない状況を作り出してるところが興味深いと思った。市は怒りを持ってもわがままを言わないんだよね。

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何度目かの、座頭市血笑旅を見た。

座頭市血笑旅 (英題/foght, zatoichi, fight 監督/三隅研次 1964年 日本)
座頭市シリーズ第八作目。監督は一作目と同じ三隅研次です。
盲目でも強すぎる市に更なる足かせをつけるために赤ん坊を抱かせ、更にスリの女も付きまといます。この三人はストーリーを通じて疑似家族になっていくのですが、2018年の是枝裕和監督による万引き家族状態です。
旅をするあんまの集団が最初と中、結末に登場し、それが市の心情を表しています。ここはすごくいい。

za08021200
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何度目かの、座頭市あばれ凧を見た。

座頭市あばれ凧 (英題/zatoichi`s flashing sword 監督/池広一夫 1964年 日本)
すっかりキャラクター化された座頭市で、ここで楽しむのは痛快ヒーローものだ。絵作りが当時の流行っぽい感じになっている。見せたいものを正面から撮るような。
髪の毛は五分刈りを放っておいたら伸びたような感じ。太ってきたのも何となく見てわかるくらいになっている。徐々に良くいわれる勝新の演じる座頭市の見た目が完成しつつあるといったようなものか。
行きずりの子どもに飴を買ってやるシーンは子供は一人だと思っていたら十人くらいいたというオチを子どもを全く見せずにすませ、そのあとに続く市が穴に落ちるシーンで子どもを全員見せているが、後半への布石なんだろうね。穴に落ちるシーンは雑なカット割りと演技でダメっぽい感じがする。なんでこんなのにしたんだろう。
水中戦の描き方が良かった。今ならもっと直接水の中の戦闘を描けるだろうが、そこをややファンタジックというか、カットを多めに割って何を見せたいか、ここでは市の無敵ぶりを描いている。
寡黙で影を背負った感じはどんどん消えていき、割としゃべり、説明的な傾向がある。皆の知る、こうあってほしい座頭市の姿と映画じゃないかと思った。そういうのがこの先も続く。
映画の最後は一件が片付いて女を置いてまたどこ多へ旅立つこれまでとは違い、敵を倒したところで幕になっている。凄惨さが出てこれもいいなと思いました。

zatouichi07011200

何度目かの、座頭市千両首を見た。

座頭市千両首(英題/zatoichi_and the chest of gold 監督/池広一夫 1964年 日本) 
座頭市シリーズ第六作。これまでとは全く違う作風だ。演劇的なオープニングから、東映の時代劇のような雰囲気のカメラアングルやカット割りだ。話はこれまでと同じく、立ち寄った町で騒動に巻き込まれやくざとの抗争に関わることになる。ヒロインが登場するが徐々に出てくるだけのようになってるね。そのヒロインは三作目の新・座頭市と同じ坪内ミキ子だ。シリーズ作で同じ役者が違う役を演じることはこの頃は気にしていないようで、敵役も続・座頭市物語で市の兄を演じた城健三朗(若山富三郎)だ。実際にも勝新の兄で、役回りとしては重要ではないかと思うんだけど、あっさり普通の殺し屋として出演している。
この映画から市の仕込み杖がルパン三世にでてくる石川五右衛門の斬鉄剣のように何でも切れるようになってくる。斬鉄剣とは方向性が反対であちらはより硬いもの、大きなものを切るがこちらはよりソフトなもの、小さなものを切ることが多い。面白いかどうかに関しては、既に一作目の宿敵との恋愛まで昇華した友情や市のこれは後になって分かるが若くして達観し謎めいた雰囲気、それに伴う独特の作品世界などは失われているので、それを望むなら二作目以降は見る必要がなく、公開される時代を受け止め座頭市物語として昇華し、勝新太郎が座頭市を自分自身として再構築していく様を楽しめるなら以降続くシリーズも楽しめると思う。一作ごとの映画の作りとしてはプラグラムピクチャとして凄く楽しめる。外さないマンネリだろうか。
市の髪型はしばらく落ち着いている。

zatouichi06021200


何度目かの、座頭市喧嘩旅を見た。

座頭市喧嘩旅(英題/ZATOICHI ON THE ROAD 監督/安田公義 1963年 日本)
座頭市シリーズ第五作。全体の物語は前作と同じだ。道中で知り合った若い女との交流でほぼ一方的に女が市に片思いし、映画のラストで市が一方的に黙って分かれる。その間に立ち寄った町のやくざの抗争を対抗する組の全滅を持って解決する。
この映画から初めて夜中の対決で「検討つけて切って来な」と、賭場でイカサマを見抜くシーンが登場する。
ヒロインが藤村志保で当たり前なんだけど若い。僕はかなり高齢の藤村志保さんしか映画で見たことが無いので新鮮だ。年齢は確かに感じるが大きく印象が変わることが無いのは凄いなと思った。今の若手の女優もずっと同じ役ではなく、年と取れば藤村志保のようになっていくのだろうな。
市の髪は微妙に伸びていて、坊主と呼ぶには無理があるくらいになっている。

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