MINAMATA-ミナマタ-、見た。

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MINAMATA-ミナマタ-(原題/Minamata 2020年 アメリカ 監督/アンドリュー・レヴィタス)

MINAMATA-ミナマタ-(原題/Minamata 2020年 アメリカ 監督/アンドリュー・レヴィタス)
見てきた。
映画を見る前にネットで予習のように各種レビューを含む情報を読むことにしている。大半が好意的な内容で、一部に外れてはいないが、見るべきはそこではないと思うものもあった。お互いに思うのは自由だが、結構うるさいのでそちら側に向けた感想としては、
神道も分からぬ日本とすら無関係の毛唐が嘘ばかりかいているクズ映画なのでいち早くこの世から消えてほしいですね!で、よいですか。

水俣の出身の方や住まわれている方の違和感は伊集院光がラジオの時間についての違和感と近い感覚かと思います。現実に渦中の人と外から見た人のリアリティレベルに差があり、そこが違和感になる。風立ちぬにおける堀辰雄と堀越二郎についても、既に企画書に「実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている」と書かれているくらいに大きな改変を行いフィクションであるのに、鬼の首を獲ったかのように、史実を人格を改編している!と烈火の怒りを延々とツイートされても、こちらも困る必要がないのに困ってしまいます。いや、史実は基にしているがフィクションなんだよ。というのがどうにも伝わらない。伊集院の場合の当事者から見たリアリティの違和感もすべからくの人がこうあるべきではなく、視点の差によっては見え方が違うもので、個人的にダメだった(面白さが見えなかった)のだ。今回のMINAMATAでは病気の原因になった会社や当時の社長が実名で登場し、実際とは異なる描写がある。これがその会社や社長について嘘が描かれていて違法映画だと言う方がいらっしゃり、それならばこの映画の発端であるユージンスミスを水俣市へ誘う人も現実とは違う。他にも複数の方のエピソードで一人のキャラクターを作っていることもある。そのほかもろもろ挙げればいとまがない。このあたりについて何も言わないが、自分の興味のある部分だけ指摘出来たら満足か?そりゃ、唐突に子どもが日本人じゃないのは違和感あるけどさ。この唐突がこの映画には多い。そこは単純に困惑した。
さて、頑張って感想を書くと、これは著名な写真家の晩年を自作の写真集を原案にフィクションとして描いた映画で、いわゆる水俣病を啓発する映画ではないなと思いました。当然ですがものすごく大きな出来事なので無視することはできません。ここから実際はどうであるのか調べることも大切だと思います。僕もほかのドキュメンタリを見たり、文献を読むこともありました。ETVのユージンスミスのドキュメンタリを見ると映画の補強になるかもね。土本典昭監督のドキュメンタリの数本はYoutubeでも見ることができる。こちらの方が水俣病を考えるには良いと思う。桑原史成さんの写真もお勧めだ。
まさに個人的な感想としては、今、二人でウォールペイントなどを描いていることもあり、たまたまやってきた年の離れた女性とこれまでと違うテーマで制作することに、しなくてもよいシンクロニシティを感じた。また、ユージンとは比べ物にならないくらいに僕はしょぼいがうまくいかない現状のいらだちや、そこからの克服はとても勇気が出ると感じた。
最初に良いと思ったのは音楽だ。坂本龍一の作曲したサントラだけでなく、70年代のアメリカの曲がとてもよかった。かっこいい。こういったジャンルの映画だと辛気臭いお経みたいな曲が耳につくので良いという気持ちよりも助かったと感じてしまった。次に画面のルックが作り込んであってよかった。これがドキュメンタリやノンフィクションの調子を払拭していると思った。特に後半にたくさん登場するユージンの写真は実際に本人が撮影したもので、ものすごい力のある写真ばかりだ。もしかしたらMINAMATAの写真だけで構成した映画で良いのじゃないかと思った。それなら写真集を見ればいいのか。
主演のジョニー・デップはユージンスミスにとても似ている。その人の実話をもとにしていても本人にそっくりである必要はそんなに感じないが、とにかく似ていて、これについては本当に違和感がない。弁護士の真田広之さんも正義の人だ。真田さんがかっこいいのは当たり前でかっこ悪かったら誰がかっこいいのだろうか。それは仕方がない。チッソの社長を演じる國村隼さんが印象的だった。映画のフィクションとしてユージンを買収しようとするシーンがあるが、わかりやすい悪人として描かれてはいない。主要ながらセリフの少ない役なので表情やセリフの間から読み取るほかないが、難しい立場を表していると思った。買収シーンでは工場の上の方で二人しかいない場所、この場所の設定もこの社長の言葉だろう。そう考えると社長としてとても厳しい人ではないかと思った。この映画はこれまでのドキュメンタリー同様に被害者の立場から描かれているので、チッソの立場は基本的に否定的だ。しかし、訴訟グループが一枚岩ではないことや、被害者家族もチッソや関連企業で働いているジレンマも登場する。
で、水俣に着いてからは結構いいところまで話がなだらかに進むと唐突に物事が切り替わるのだ。突然出てきてたった一つの役割を果たしたらいなくなってしまう人もちょいちょい出てくる。放火する人やネガを渡す人だ。この辺りはちょっとずるいと思った。それ以外にも唐突に物語が進む点があって、映画のダイジェスト感が出ていると思った。いつの間にかLIFEの編集者たちがユージンの味方になっている点もいきなり言われても記号としては伝わるけど、気持ちとして読み取らせてくれない。だから国村さんのチッソの社長が役者としてよく見える。あ、入浴する智子と母の智子の父親が途中から出てこなくなっちゃうんだよね。入浴する智子と母を撮影する前後など父親としての葛藤と気持ちはないのかなと。表現が複雑になるから省略したのかもしれない。あえて言うならその省略があまりに急激なのだ。物語や時系列がなだらかに繋がっている映画を望むとつらく見えるかもね。
ユージン達が医者に変装して病院に潜入して水俣病の研究資料を家捜しするシーンはあまりいい気分ではない脚色だと思った。立場として踏み込みすぎに見える。報道写真家から環境問題の活動家に転身したようだった。それでもこの映画が個人的にも力のある骨太の映画と見れたのは放火によってネガを失った(と思われた)ことから腹を決めて撮影を再開したシーンからだ。ここも脚色は入るが、この映画はいかにして入浴する智子と母を撮影するかを主軸にしているのでそのために枝葉は払われる。しかし、代わりになんでつけちゃったかな?と思われる脚色が見る人が引っかかってしまう点になる。他があまりに力があるからだ。
やっぱり僕はこれは著名な写真家の晩年を自作の写真集を原案にフィクションとして描いた映画として見ている。それだけでとても立派な映画だ。そしてもう一つ、所謂水俣病について現実にある出来事、事件として少しでも積極的に理解するチャンスになったらいいんじゃないか。

そもそもな話で、僕はユージン・スミスをこの映画の存在で知った。これまで僕にユージンを教えなかった人たちはセンスないなと思ったし、これまで知ろうとしなかった僕も大したことないなと思いました。

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