シン・ゴジラを見てきたよ。

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良かった!お金を払って見る映画です。新しいゴジラの基準だと思う。既存のタイトルを新たに作ることの優秀なプレゼンテーションであり、リファレンスだと思う。テーマについてどのように描けばよいかまじめに考えられている。怪獣同士で両手を使ってプロレスをしたり、ビルを壊したりする映像は全くありません。ビルは壊れますが、プロレス的に壊れることはありません。

2015年1月22日のコメントで、「怪獣映画に対しての個人的な気持ちとしては、怪獣が存在する現実を表現して貰えたらよいと思っているので、それ以外のお祭り的チンドン屋的な方向性のものは興味が無いです。」と書いているので、シン・ゴジラは自分にとって分かりやすく思った通りの映画だったのでした。

とりあえずゴジラの見た目をチェックしていこうか。
今回のゴジラは劇中で成長する。尻尾だけしか見れなかった第二形態、ウルトラマンA以降のウルトラシリーズに登場しそうなデザインの第二形態、これはものすごい速さで走ります。走ってる感じはエイリアンのチェストバースターが胸から飛び出た直後みたいな感じです。

深海魚が急に釣り上げられて目玉が飛び出た様子を思い起こさせると同時に、70年代に多かった目の大きい怪獣を揶揄しているようにも見えました。そしてリアルタイムに第三形態に変身。ここまで腕が二の腕くらいまでしかないです。この形態はゴジラ的なシルエット、特に首から頭にかけて大きく変化し、いわゆるゴジラ的な形に変化します。そして赤い。直立したまま寝るのはキリンか。 続きを読む

なぜ時代劇は滅びるのかを読んだ。

なぜ時代劇は滅びるのか
著者/春日太一
出版社/新潮社 (2014/9/16)

若干古い本ですが。
表題の疑問いついては著者の推測でしかないが、かいつまんで言うとプロデューサーが時代から取り残されたこと。
他は結構著者がラジオ番組などでことあるごとに部分を話されているので、今から読むと新鮮さに欠けると思う。
本全体としては昔はよかった感があちこちに登場し、それがくどく感じる部分もある。
著者自身が取材した部分と見聞によって出来た知識との差が大きい箇所もあり、これだけ深い取り組みをされていても体験して得た情報との差はバランス取れないんだなと思いましたね。ゆえに直接取材した京都の撮影所の、それこそ気持ちも含めて文章は力があるし、読みやすい。
反対にテクニカルな部分は弱いようで、特にデジタルで撮影やポスポロに対しては黎明期のネガティブな面、単に画面が明るく、奥行きが無くて平板な絵作りといったこと。そういったことは不味い部分は指摘しやすいので痛快だが、日々改善されている事も多いので、あまりデジタルは画面が綺麗過ぎとかいうのはあんまり意味が無いと思う。なにより実際はやらないが、1ピクセル単位で編集可能なのだ。過去の映画の画質に究極的に似せる事も可能だ。可能だけで生産性も何も無いのでやる意味は無いが。

現実問題として2016年の今はTVの連続ものとして時代劇はないし、映画も少ない。か?映画はちょいちょいやってないか?思った通りの結《けつ》まで分かってる時代劇は無くても、今を表現する時代劇の映画はあるんじゃないかな。

本からは離れるが、自分より若くてしゅっとした役者が出てくると、自分の顔面や腹の出具合と比較してむかつくとは思う。しかし、時代劇の好きな人のヒーローである座頭市の勝新の若いときは目を開けていればジャニーズ以上に甘い表情だ。座頭市物語出演は25歳だ。けして中年ではない。自分の年齢から上を見るか下を見るかで同じ年齢差でも違う。単にそれだけの事なので批判したいときはちょっと気にかけたほうがいいんじゃないかな。

後継者を全く育てない仕組みや、プロデューサーが時代を鑑みない姿勢は良くないなと思う。それは時代劇だけでなく、どんな事にも言えると思う。思うって言うか大体のことは読み下すと普遍的でなんにでも言えることなんですけどね。

アカン感じになる映画フォーマット

病気や事故、事件など何らかの理由で誰かが死にそうになるか死ぬ。
また、誰かが再会するか別れることで感動させるロジックを作る。やや安易なペシミズム。

複数のシーンで全く同じ台詞回しと音楽が流れる。所謂テンドン。
情報量を強制的に増やす為の俯瞰としての空撮の多様。
密度の無さを埋めるためのカメラ移動。
状況や作品世界を台詞のみで解説する。

ということらしい。でも予算と尺は限られているので、先に上げた手法も上手く使えばよいと思ってはいる。