何度目かの、座頭市の歌が聞えるを見た。

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座頭市の歌が聞える (英題/zatoichi’s vengeance 監督/田中徳三 1966年 日本)
第十三作目。
妙に考えさせるシリーズ。ふらっと現れる琵琶法師が市の心の声のように市に生き方を問いかける。ブラックジャックの「座頭医師」などにも同じようなキャラクターが登場し、ブラックジャックの影の声のような存在になっている。それこそなんとも言えないタイミングで近くにいたり隣の部屋で寝ていたりするので若干コントのようにも見える。ただこの琵琶法師の言葉のおかげで市が自分の生き方に疑問を感じさせてしまう。結局答えは出ないのだがこれまでの完成された人情ものから脱却したいように見えるが、単に時代的に考えさせるような話が流行だったのかもしれない。座頭市は後天的に見る人が思っている以上に時代に迎合しているのだ。

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やくざは相変わらず市へのドメクラと差別が激しい。
格闘シーンはこの時代の類型的な感じがした。型と言うか舞と言うか痛快ではあるがリアリティは無い。これを琵琶法師が子どもに見せることで子どもの人生を傷つけていると指摘するのだ。何故かの自己否定。市をたしなめた琵琶法師だが、目の前で困っている人がいれば居合を使うことは悪いことでは無いと言って市を困惑させる。
琵琶法師は言う、弦が切れても弦に頼っていては琵琶は弾けない。市が仕込み杖に頼っていては生きることもままならない。市はただ怖いだけだった。何があったんだ座頭市シリーズ。
長居をしたくないと言いながら長居する理由を自ら作っていると琵琶法師に指摘される。今度は全く抵抗せず、やくざに土下座しリンチにあっても仕込み杖を抜かなかった。三度やくざに遭遇したときは、おばあちゃんが人質に取られ、あまりの非道ぶりに太一が見ている前であっても仕込みを抜いてやくざを叩き切った。一時の平和を守ることを選んだのだ。

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めくらという言葉も知らない人もそろそろ出てきそうな21世紀初頭にドメクラが感情として見ていて伝わるか、もう期待できないだろうなあ。映画に限らずフィクションを楽しむには知っていないと楽しめないことがあるね。女郎になった女、お蝶が最初の方でお茶を引いているのだが、これも性風俗関連では使われているようで女郎の仕事がヒマなことを言う。

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殺陣の見どころは仕込みを取り上げられて、シリーズで初めて日本刀一本だけで戦う。これピンチになることも無くいつも通りに強い。刀の持ち方は順手だ。太一から仕込み杖を受け取ってからも日本刀だけで戦い続けているので、居合でないと弱いってことは無いようで。続けて小さな橋での戦闘になだれ込む。このシーンは引きで日が落ちているために影絵のようになっている。見ているものも光のない世界にいるような感触だ。さらに続く浪人との決闘はちょっとあっさりしている。浪人の心情が表現が薄いと感じることが原因かもな。一作目の平手造酒を演じた天知茂が浪人で再登板なのにもったいなくないかなあ。浪人よりもその女の心情が強く描かれているので、ここでも浪人の死は女の心情に繋がっているようだった。たまにしか出てこないがこの女が今作を端的に表現している。

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どんどんやくざを追い詰めていく市。やくざを全滅させることで物語は結末を迎えるが市の心は晴れないまま終わる。
今回も英題が内容を表しているかな。原題はどういうつもりで命名してんだろう。

髪の長さは変わらないが、無精ひげが目立つ。


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