何度目かのDollsを見た。

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Dolls(2002年 日本 監督/北野武)

ふらっと見ていて、別にDollsじゃ無くてもいいけど、編集のことで例にする。

これだけで大凡この人の生活が想像できるだろう。この絵から無理にしても実際の映画は分かりやすいと思う。その後、アイドルを熱心に応援しているくだりがある。静かに進行する。

いろいろあって事故だ。事故の直接の描写は無い。「キャー」などと叫ぶ台詞も無い。誰が被害者か大体分かるようになっている。その後、屋外の電光掲示板で事故について知ることになる。これも台詞も音も無し。

部屋の中。

アイドルの写真集より。

目を閉じる。

ぼやけるアイドル。

目を開ける。

はっきり見えるアイドル。

目を閉じる。

ぼける。

ピントが合う。

すかさずカッターを握る。斜め上方向への手の動き。

斜め上からさっと登場する、歩く脚とふらりとする白い杖。カッターから歩きまでは省略されている。ここのスピード感が良いなと思った。目潰しのカットが無くても演出が出来る説明をしたかったが、これは目潰しのカットが無いほうが良いので、目潰ししているカットがある方向で考えづらいな。説明が失敗だ。
時間を省略することでテンポやスピード感が出ている。ここに時間をかけずに、目を閉じてもアイドルが見えるかに時間を使ったほうが緩急ついて見やすい。

何が言いたかったかと問うならば、特撮が無くても、または直接表現しなくても実現するには手数のいることでも表現できるよということです。参考ポイントが待ったくずれてしまっているので、きちんと例になるのに出会ったらまた書くよ。

しばらくアイドルに会いに行き出会うくだりがあり、二人で花の中。

もてない奴が全力で考えた結果が目潰しであり、目的を達成させた。ガス人間第一号の水野がガス人間になったから藤千代と一緒にいられたように。ここでガス人間じゃなくてもいいんだけど、手持ちのリストでたまたま目にしたので。大人の童貞の愛情表現は気持ち悪く切ない。

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