何度目かのバットマンを見た。

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バットマン(原題Batman)(1989年 アメリカ 監督/ティム・バートン)

この映画が公開される直前から日本では意味も無くバットマンのロゴマークが流行っていた。殆どの人は意味も分からず、マークの形だけで良いと思っていたと思う。僕はバットマンは好きでも嫌いでもなかった。関心が無かった。何故かと問うならば、バットマンはお金をたくさん持っている以外の能力が無く、普通の人が変装しているだけだからだ。ヒーローは何よりも、人とは違う突出した身体能力とほぼ死なない体がなくてはならない。日本の特撮ヒーローは常にそうだった。それにアメリカのヒーローものは全身タイツで股間をもっこりさせていたからだ。そして身体能力の殆どが体を鍛えた延長線にあり、ということでマッチョなのもリアルではあるだろうが、人を超越した感じはあんま無いと思ったのだ。

アメリカの漫画でも超能力をもっていたり、マッチョじゃないヒーローもいるのは知っている。しかし、バットマンは単なるコスプレおじさんだ。人前でコスプレしないと表に出られない。変態だ。お金があったらなんでも許されるのか。そう思っていた。

それは違った。アメコミのヒーローが全身タイツのマッチョなおっさんがいきり立って過剰な民間警備をしていたのは訳があった。元は日本の漫画のようにシリアスな話題を扱っていたが、過度なポリティカル・コレクトネスなどにより先に描いたような全身タイツマンが品行方正に正義の強いアメリカを代表しなくてはならなくなったのだ。僕が知ったアメコミはこの品行方正になって以降のものだった。

書いてみて、全身タイツのマッチョなおっさんがいきり立って過剰な民間警備をしているだけで、それはそれで面白いと思った。じゃ面白いよ。

このバットマンは、全身タイツじゃなくて全身ラバーかレザーで結局、問題ありそうなコスプレで過剰な民間警備をすることになったのは何故かをシリアスな作品世界の中でキッチュに描いていると思った。

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