千本松原という場所

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千本松原という場所があってだな、幼少の頃に祖父母宅への道中で休憩というか、毎回車酔いでゲロを吐くために停まっていたのがこの辺りだった。
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おかげで千本松原に関して妙に関心が産まれてしまい、関連の児童書を読んだりしていた割には、治水神社へ来たのは初めてなのだ。親が全く千本松原だけでなく、あらゆることに対して興味を持たせようとしなかったのも理由の一つだ。その上、ローティーンくらいになると土着的なことをかっこ悪くてどうしようもないものとして嫌っていたからな。でも普通はそんなもんじゃないかと思う。
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今も土着的なものや地元の歴史に対して愛情があったり特別に興味があるわけでもない。簡単にいうと金が無いから近場で取材をせざるを得ないし、そうでなくても自分の身の丈にあった、手に取ったものでないと理解がしづらいからだ。
ずいぶん前から公園が整備され、駐車場も綺麗になっていた。僕が来たことのある。もっと端的に言うならばゲロを吐いていた頃は公園も駐車場も整備されていなくて砂利の単なる広場であった。
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公園は広くて子供向けの遊具も充実していて素晴らしい。素晴らしいのにレンズキャップを付けたまま撮影していた。しかしプレビューしてるし、気付くはずなんだけど何なんだろうね。 しかし、花はきちんと手入れしているとは言いがたい状態だった。花の手入れをするのは本当に手間のかかることだ。
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神社はかなり立派な造りだ。立派であればあるほどその治水の深刻さが見える。ちなみに治水は政治だ。政治を外して考えることは出来ない。ここに単に犠牲になった人がかわいそうとかいうことだけで話を進めるのは非常に薄っぺらい。子どもに向けて話すにしても、治水に対する政治の関わりを理解した上でどう省略するかを考えていくべきだと思う。
物語を作る上でこういったことに疑問を持ち、問題定義をして、一定の考えや答えは持つべきだ。見てくれた人にその感想や思いはゆだねるにしてもだ。
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てなことをおくわさまとか作る前に見たり考えるべきだった。僕自身すっかり忘れていたよ。忘れていたが妙な引っ掛かり、つまり、この話はどうにも素直に受け止められないという思いは、忘れていた千本松原にあったのだ。

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狛犬もいたので撮った。ここのは最近設置したようでつくりが新しい。着色もある。
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こちら側の川からの災害を防ぐためのものだった。
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雰囲気としてはこの反対側の風景がそれらしいと思う。
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手前の木、奥の山がそういう雰囲気を演出しているのだろう。 どこまでも広がり視界を覆いつくす川だけの恐怖が本来の姿だろうな。
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当時の家も再現されていたのでそのうち何かの参考にする予定だが、何かが出来るかどうかは不明だ。