怪獣大戦争などを調査中。

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短編怪獣映画を製作するにあたって、60年代の東宝怪獣映画を勉強に見ている。主にゴジラシリーズだ。なんで60年代の東宝怪獣映画なのかは監督がこの時代の映画を踏襲した映画にしたいからです。

60年代ですでに宇宙モノの影響がある。ストーリーのリファレンスにするならモスラ対ゴジラまでか。そういえば、殆どの怪獣ものは複数の怪獣が登場して対決するんだよ。

主人公はほぼ男二人と、どちらかの妹の三人。男はどちらかが刑事かジャーナリスト、または研究者。今回製作する短編はこれが無い。60年代東宝特撮と云えばこれは必須だ。再考しよう。

カラーになってからは背広(スーツじゃなくて)ばっかりで、ネクタイは締めている。めがねは太い黒縁で七三分け。ひげは無し。子供向けだからか喫煙者が極端に少ない。60年代の日本といえば映画の中でもヘビースモーカーが一般的だが怪獣映画では喫煙シーンが少ないのはありがたい。個人的にタバコが苦手という問題以外にロケ地を探すに当たっても余裕が出来る。

女性の台詞がおおよそ丁寧語。スカーフを巻いていることが多い。頭に巻くときはダチョウ倶楽部の上島さんが熱湯風呂に入るときの手ぬぐいの巻き方。ファッションについては今との違いも含めて勉強がいる。ほんの少ししか登場しなくても知っていることは大切だと思う。

カメラはほぼfix。パンとフォローがたまにある。会話は切り返し。ドリーもクレーンもほぼ無い。特撮部分のカメラはfix。これは再現しやすい。ややわざとらしい主観的?なズームがある。このズームは今はやらないと思う。なぜなら作り手の意思が丸出しで、恰好悪いからだ。絵としてもドン臭い。しかし、時代性を出すには解りやすい手法だ。

レンズは標準から望遠で広角はめったにない。実際に使うカメラが何か分からないけど、小さいカメラだと今は広角気味なので注意が必要だ。

カメラの位置がおおよそ顔の高さ。そうでない場合は頭よりやや上からの俯瞰。怪獣だけのパートでも同じ。怪獣の顔の高さが定位置。陸上兵器の行進も俯瞰で撮っている。たぶんこれもミニチュアに対して人の頭の高さから撮っているようだ。僕はこの何でもかんでも実際の人の頭の高さから撮るのが理解できない。頭の高さというのは顔の高さでもあり、直立して単にカメラを構えたそれだけの意味でセッティングしている。人を撮っているときは全く問題なく、それは被写体が人だからで、怪獣を含めたミニチュアも現実に怪獣の着ぐるみ(当時はぬいぐるみと称していたようです)の顔の高さで水平に構えたらそれは全然大きく見えない。常にスケールを意識した絵作りをすべきじゃないかと思うんだけど。かといって何でも見上げたって問題は解決しない。反対に怪獣の頭の高さで水平に構えられる距離もあると思う。スケールを意識するには、そのカメラの位置で人が実際にその絵を見るにはどのようにしたら実現できるか考えてみると良いと思う。

しかし、今回は60年代の東宝怪獣映画を踏襲するので、こういったことは全然考えなくていいのだ。むしろ、当時の絵作りを逆算して構築することが必要だ。

セットでは同ポジを多用している。これは単純に省エネだ。計画的に撮影しよう。

ミニチュアで困るのは足元だ。足元を照れ隠し出来ればかなり出来ることが増える。逆に地面のステージっぽい感じを表現することで60年代(何度も書くのは面倒なので60年代とする)の雰囲気を感じさせられる。

ミニチュアには寄らない。もしかしたら寄れなかったのかもしれない。

前面に人、その奥に怪獣の場合は間に建物や木などをはさんで合成しているので、このやり方は楽だ。やり方だけね。しかもカメラはfixだ。今は合成がバレバレで恰好悪いし、このやり方じゃなくても出来るからやらないけど、60年代を感じさせるには分かりやすいと思う。
光線などは手書きのアニメーションをAEで単純に合成すればいいので楽。埃や煙が厄介かな。その場の自然現象を利用しているのは再現が難しい。なにせ当時も意図的に作ったものじゃないからね。

セットの部屋が狭い。カメラも狭くなる。壁の密度が低く、間延びして見える。
遠景はマットペイントもあるな。実際に大きなスタジオは予算上使えないので、野外で大き目のベニア板などで仕切り、見なしスタジオとして当時の広いのに詰まった感じを再現できないかなと思う。撮影場所は単に撮影するだけでも工夫がたくさん要りそうだ。

会議室は県か市議会の会議場くらいの規模で出来そう。問題は借りられるかだ。

絵が全体的に黄ばんでいるが、白はそれなりに出ている。全体には色がぺたっと乗った感じ。でも単に乗せてはいけない。カラコレでなんとかなるだろう。

戦車や戦闘機は怪獣と絡んでいそうで全く絡んでいない。ほぼインサートだ。ある意味自衛隊の記号があればいい様な扱いだ。
戦車のデザインは戦車に見えればいい程度で、模型としての精度より撮影に使うための強度を重要視しているように見える。戦車に見えればいいという当時の発想をとるか、そうやって出来た戦車の見た目を再現することを選択するか、今のところ、60年代の見た目を踏襲しようとしているので後者だろうね。

戦車の位置と砲撃の弾道は一致させていない。砲撃も機ぐるみの頭の高さからやってくる。この辺りが記号として登場させているんじゃないかと感じる部分だ。とにかく怪獣を攻撃している感じがあればよいように見える。戦車はそんなに高角度で砲撃しない。といかできない。
戦車は止まって撃つ。これは実際もそう。今の戦車は動いていても砲撃できる。動きはラジコンそのものなのでラジコン戦車をそのまま走らせれば実現できる。

飛行機も戦車も全部実物よりかなり遅く移動する。飛行機の形もどの辺りまで再現すればいいのか。今市販されているプラモデルだと出来すぎているんだ。マーキングもどうするか考えないと。
飛行機のノズルから直接火が出て、火の先が少し上に向いて出る。当然のように吊りでつってる線が見える。正直、頭を抱えたくなるがこれも60年代のために再現すべきだろう。

自衛官が妙におっさんでぽっちゃりしている。昔は知らないが今はこんなにおっさんでもぽっちゃりもしていない。鍛えているからぽっちゃりは無いぜ。そもそも四十くらいの容貌の人とかが現場ってことは無い。そもそも自衛官でぽっちゃりは無いだろう。やる気あんのかという事だ。本物の自衛隊を再現でなく、60年代の映画の中の再現なので、リファレンスは劇中に求めるしかない。

声の感じから、アフレコなのか? 別で収録する分、時間がかかることだけは確かだ。 同録したものをガイドにしてアフレコかな。この辺りもまだまだ研究が必要だ。

強調したい単語はアクセントを先頭にする。怪獣なら「『か』いじゅう」。通信は何故か語尾を上げて疑問系のように話す。特に「了解」は二回繰り返す。

爆発音がおおよそ全部同じ。これも爆音をひとつ用意すればいいので楽だ。

ということで、調査研究ままだ続きます。

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