何度目かの、ライトスタッフを見た。

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ライトスタッフ(原題/The Right Stuff)(1983年 監督/フィリップ・カウフマン アメリカ)
アメリカの有人宇宙飛行計画であるマーキュリー計画に関わったパイロットたちの話。
大きくは強いアメリカ、アメリカンドリームを発奮させるかのようなザ・アメリカな音楽と演出。なのだが、ライトスタッフたる七人の宇宙飛行士たちが絵にかいたような無頼漢(この言葉って死語だなあ。)で、この辺りはカリカチュアライズされてるのだろうか?役人みたいな人だと映画的でないのでこんなものだろうなあ。そういえばこのキャラクターの感じはアルマゲドンだよね。あれがライトスタッフを模しているだろうけど。それでも上層部からは学歴や待遇など随分と虐げられ、自分たちの役割を認めさせるために耐えず主張し続ける。肯定的な意味でアメリカを感じる部分だ。その場で相手に意見を言い、正しいと思う道を認めさせる。
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途中で寝ぼけて描いたので表情など変になった。

飛行中は孤独だ。映像としては爆音の中であったり、管制官の絵がインサートされるので退屈しないが、パイロットは狭く閉鎖された空間に押し込まれ、生きて帰っても死んでもたった一人だ。特にX-1に乗り込むとき、このシーンは博士の異常な愛情の原爆に馬乗りで落下するシーンを思い出し、孤独であることと、その行為の異常性を感じた。それと同時に単に乗り込むだけのシークエンスが大変メカニックに感じかっこよくも見えた。
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NF-104で高度記録に挑戦するシーンもなぜか孤独感がある。コクピットに一人だからではなく、この計画自体、社会から歓迎されていないように見えるからだ。それはその前にパレードがあるから対比されていることもある。
分かりやすい孤独さはやはり何度か登場する脱出シーンだ。頼るものもなくただ空や海へ放り出され、一人小さく浮遊する様を延々映し出されるのは感覚を共有させられる。
NF-104もX-1も主翼が小さいせいか棺桶のようにも見えるし、X-1やマーキュリーカプセルは人の大きさに近いので飛行機や宇宙船に乗る感じより、馬のようなもっと人に近いものと一体化する又は体の延長のような感覚もある。

奥さんたちのルックスが微妙に不細工なのは何か理由があるのだろうか。誰かのモノマネを絶妙に外してどうにももやっとする感じに似た引っ掛かりがある。もしかしてこの人たちのアメリカ社会の生活階級みたいなことを表しているとか?は、無いよねぇ。
Rightstuff17042901800
変な話、見るまではもっとどん臭い物語と演出を想像していたので、このように密度のある映画だと思わなかったんだよね。機械に対する愛情はキャラクター性として消化されることはやっぱりないんだけど(ハリウッドの映画は日本のアニメのような機械をキャラクターとして取り上げることはほぼ無い)、X-1などに関わるパイロットたちが自分たちのパイロットとしての尊厳を主張することによって、機械が単なる道具以上になっていると思った。

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