何度目かのゴジラvsキングギドラを見た。

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ゴジラvsキングギドラ(英題/Godzilla vs. King Ghidora)(1991年 日本 監督/大森一樹(本編)川北紘一(特撮))

キングギドラってKing Ghidorahと表記するんじゃなかったのか。
メカゴジラがそれなりに好きで、メカゴジラの出るタイトルだけ見れればよかったが、VSメカゴジラに関わってくるようだったので見た。が、ほぼ見なくてもいいくらいに物語には無関係な繋がりだった。テーマとしては深めの要素があるものの、それらを物語にするにはゴジラなどの怪獣が邪魔になり、それは本末転倒なので、転倒しない作りにするとテーマは浅めにしておいたほうがいいかもしれないと思った。つまり、ゴジラの様な巨大すぎる怪獣とは合わないテーマだったんじゃないかな。
映画としては当時流行ったいくつかのアメリカのハリウッド大作のセンテンスをそのまま引用して繋げた、お子様ランチの様な、まあ、子供向けなのでお子様ランチでよいのだが、東宝60周年記念作品がこんなんでいいのか?と思ってしまう。
同様に登場する外国人や日本語以外を話す人が、当時日本で人気のある外国人タレントを多数採用していて、彼らはTVのバラエティで司会の主に大橋巨泉さんにいじられて良さを発揮していたのであって演技が上手かったわけではないので、演技の不味さが目立ってしまっていた。それでもいつでもどこでも日本人と同じ骨格の人が登場しても日本人じゃないと言い張るよりはよかったかもしれない。
営業上怪獣の対決ものでなくてはならないので仕方の無いことだと思うが、ゴジラの対決ものの殆どが物語上対決する怪獣が余分だ。ゴジラだけで解決できない要素が充分なのにさらに解決できない要素を盛り込んでいて、これらを物語として結末を迎えるにはガス欠でリタイヤするか、地球人類もろとも消滅するか二択になるのではないかな。で、消滅するわけにはいかないので、リタイヤすることになり、毎回ゴジラに関しては何だか分からないけど、知らないところへ帰るのだった。

ゴジラサウルスは大昔1996年公開の恐竜100万年の恐竜登場シーンの雰囲気で、恐竜100万年が公開された当時にこれが日本で出来ていたら素晴らしいと思った。でもこのシーンはゴジラサウルスの出来栄えでなく、シーンとして興味深かった。

この映画は宣伝ポスターの絵がかっこいい。このポスターの絵のために映画があるといっても過言じゃない。重ねるがポスターの絵は素晴らしい。


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