何度目かでもない座頭市の映画を続けてみていた。

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うっかり座頭市の映画を続けて見てしまったので、その中でも面白く見れたものなどを記録するのだ。五作目辺りから市が超人のように扱われていくんだけど、同時に被差別者としての扱いも酷くなっていく。

第一作目はやはり面白い。

流れ者の盲目の按摩で仕込み杖を操る居合い抜きの達人、座頭市がやくざの用心棒になり、敵対するやくざとの抗争に巻き込まれ、相手のやくざの用心棒と親しくなるが、対決もしなくてはならない。そしてやくざは双方とも全滅し、座頭市はまた旅に出る。この間にけなげな女の子を守り好かれるが、それは許されぬ恋だった。と云うのが挟まる。おおよそこの流れにアイデアを追加してシリーズになっている。回を追うごとに人情ものの比率が上がっているように思った。

三作目の新・座頭市物語
先に書いたフォーマットに主人公に居合い抜きを教えた師がいたならば。というアイデアを追加したものだ。今ならば流れ者の主人公の師となれば、かなり貴重な扱いをするのではないだろうか? 座頭市では第三作目で登場だ。

六作目、座頭市千両首
うっかり千両箱に腰掛けてしまったために事件に巻き込まれる、市。対決する相手を演じるのは実兄の若山富三郎さん。この時代の映画は座頭市に限らず、同じシリーズに別の役で同じ役者が演じることが多い。

十一作目、座頭市逆手斬り
藤山寛美さんが出演している。他のシリーズでもコメディアンがちょいちょい登場していて、めくらとやくざで暗くなりがちな方向性を明るくしている。人情劇的な側面が回を追うごとに強調されるが、それと同じく、めくらの連呼も多くなっている。市はめくらとやくざで凶状持ちのトリプルパンチでどこに行っても差別の対象になるのだ。

十三作目の座頭市の歌が聞えるにも市と同様のめくらが登場する。今回は琵琶を弾く法師だ。この琵琶法師が市に説教するシーンはブラックジャックと琵琶丸のそれとそっくりで、座頭市からヒントを得ているのではと思ってしまうが、そもそも琵琶法師はこういった説教をしたのだろう。

十五作目、座頭市鉄火旅。毎度、賭場シーンが登場するが内容もほぼ同じだ。続けてみると飽きる。そのせいか後半のシリーズでは市はつきから見放されることも出てくる。今回は仕込み杖について語られる。作った人の弟子が登場だ。

座頭市喧嘩太鼓は第十九作目。これも藤岡琢也さんのコメディリリーフに味があると思う。コメディアンの登場もシリーズが進むにつれて多くなるね。コメディではないが市の居合い抜きも、ルパン三世の石川五右衛門の斬鉄剣のように変わった切れ方をするようになってくる。

第二十作目は座頭市と用心棒だ。座頭市は敵になるやくざの用心棒と戦うのは毎度だが今回の用心棒はザ用心棒だ。何故かと問うならば、用心棒を三船敏郎さんが演じているからだ。これだけだったり、他の作をつまんで見ていると気にならないが、この映画だけ全体の雰囲気が西部劇みたいだ。

第二十四作目は勝新太郎さんの監督で新座頭市物語 折れた杖。

座頭市(という題の映画)はとりあえず座頭市を見たい人には良いかもしれない。これまでの映画やTVドラマの名シーンを繋げた様な作りになっているからだ。多分殆どの人の想像する座頭市はこの映画の座頭市だと思う。

北野武さん監督の座頭市(という題の映画)は007のカジノロワイヤルみたいなものだと思うと楽しく見れると思うんだけど。

座頭市 THE LASTも見てみた。云われている酷さは感じなかった。生活感がこれまでより強い市で、だまされ方も幼い感じがした。主演の香取慎吾さんが若い、もっと年を取った人が市をやるべきだとも云われるが、座頭市物語の公開時で勝新太郎さんは31歳くらい。香取慎吾さんは公開当時33歳だ。雰囲気と見ている人の思い込みの問題だろうね。この作品世界での市はこれまでの市の中でも、若い頃を描こうとしているのだと思うことにしている。その割には最後に市は死ぬんだが。

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